「「偏差値エリート」が日本経済をダメにした…まともな経済政策が行われない根本原因」の感想

はじめに

表題の記事の感想を記載したいと思います。

尚、引用元は以下です。

「偏差値エリート」が日本経済をダメにした…まともな経済政策が行われない根本原因

引用内容

前日銀審議委員による鋭い批判

 日本経済はなぜ、うまくいかないのか。根本的な理由は「偏差値エリートの合理的期待」にあるかもしれない。経済だけでなく、安全保障も同じだ。彼らは、正しい処方箋が示されたとしても「自分の出世とは、何の関係もない」と割り切っているのだ。

 この問題を考えさせられたのは、前日銀審議委員でエコノミストの原田泰氏が著した「デフレと闘う 日銀審議委員、苦闘と試行錯誤の5年間」(中央公論新社、2021年6月)を読んだのが、きっかけだ。

原田氏は2015年から20年まで日銀審議委員を務めた。当時の日記を基に書いたこの本で、原田氏は、日銀という組織と同僚たちの赤裸々な実態を、これでもか、というほど暴露している。たとえば、次のようだ。

———-

〈そもそも、5000人の日銀職員で金融政策の専門家は何人いるのだろうか。金融政策の専門家とは、金融政策が金融市場と経済全体にどのような影響を与えるか、を理論的・数量的に認識している人だろう。ところが、そんなことを知っている人は、日銀内にほとんどいなかった〉

〈2015年の時点では、金融政策決定に関わる少なからぬ人々が、物価は金融政策では決まらない、潜在成長率で決まる、経済の実力で決まる、物価は基礎体温のようなもので、個人差がある、などと議論していた。物価と金融政策との関係を認めていなかったのだ〉

〈岩田副総裁は「物価が経済の実力、潜在成長力で決まるとして、金融政策で潜在成長率を動かすことはできない。であるなら、金融政策で物価を動かすことはできないことになる。とすると、木内委員は、なぜ、金融政策に関わって、金融政策について議論するのか。時間の無駄だ」と何度か言っていた〉

———-

 木内委員とは、当時、原田氏の同僚だった木内登英審議委員(野村証券出身)である。木内氏はテレビの経済番組に、よく登場するので、ご存知の読者も多いだろう。私もテレビで、ご一緒したことがある。「物価上昇率は経済の実力で決まる」という考えの持ち主だった。

 岩田規久男副総裁は「物価が潜在成長力で決まるのなら、金融政策は潜在成長力を動かせないのだから、論理的に金融政策は物価を動かせない、という話になる。それなら、なぜ木内氏は、物価安定が責務である金融政策に関わっているのか」と批判したのだ。

金融緩和に反対し続けた日銀

 原田氏の舌鋒は日銀にとどまらず、日本の経済学者全般にも及ぶ。

———-

〈私は、日銀に何十年といるよりも、ミルトン・フリードマンの「金融政策の役割」やアンナ・シュウォーツとの共著「大収縮1929-1933」を読んだほうが、ずっと金融政策について多くのことを、より深く知ることができる、と思う。…これらの偉業は、本来、学者であれば、誰もが誇りに思うべきことだ。…ところが、日本の学者は、フリードマンの金融論よりも、わけのわからない実務家の議論が正しい、と思っているようだ。学者が自ら学問を貶めている、としか思えない〉

———-

 原田氏は日銀関係者や経済学者たちを、なんとか正しい経済と経済学の理解に導こうと、懸命に説得した。残念ながら、その努力が実った、とは言い難い。日銀の一部は金融緩和路線の正しさを理解するようになったらしいが、世の大勢は、そうではなかった。

 たとえば、民間銀行は金融緩和に反対だった。銀行は預金者から低い金利で短期資金を調達する一方、企業に高い金利で長期資金を貸して、長短金利差で儲けている。だが、長期金利が低下した結果、儲けられなくなってしまったからだ。

 銀行から給料をもらっている銀行系エコノミストや、債券売買で稼いでいる債券ディーラーや債券エコノミストは長期金利が下がると、債券価格が下がって損するので、強硬な緩和反対勢力になった。

高偏差値エリートの弊害

 多くの指摘の中で、私がとくに注目したのは、次のくだりである。

———-

〈高偏差値大学の教授は「学生は銀行に就職活動に行って、量的・質的金融緩和のおかげで金利が低下し、利ザヤが取れなくて困っている、という話を聞き、皆が反金融緩和になって帰ってくる」と言っていた。経済学者に反リフレ派が多いのは、このような学生の意見に影響されているのかもしれない〉

〈高偏差値大学と低偏差値大学の学生および教官では、違いがある。高偏差値大学では、いつも一定の求人があるので、雇用情勢の改善をなかなか認知できない。一方、低偏差値大学では、景気によって求人が大きく変動するので、QQE(量的・質的金融緩和)の恩恵を認識できるようだ〉

———-

 東大や京大、一橋、早稲田、慶応のような大学の学生は、景気が良かろうと悪かろうと、そこそこ就職口はある。そこで、いざ就職するとなると、次は「いかに就職した銀行や企業で出世するか」が最大の関心事になる。

 そんな学生が銀行に就職活動に行って、先輩から「金融緩和は良くない」などと聞かされれば「まったく、その通りですね」と、さっそく相槌を打つことになる。「それは、おかしいんじゃないですか」などと反論すれば、自分の印象が悪くなるだけだからだ。

 銀行だけではない。相手が霞が関でもマスコミでも、話は同じだ。財務省に就職活動に行って「財政出動が必要です」などと言って、気に入られるわけがない。

 比較的、自由そうに見えるマスコミもひとたび、入社すれば、そうはいかない。経済部記者の花形は財務省や日銀、銀行担当だが、そんな取材先で「財政出動すべきだ。金融緩和すべきだ」などと言っていたら、相手に煙たがれるに決まっている。

日本経済がうまくいかない根本原因

 つまり、どういうことか。

 高偏差値のエリートたちは、幼いときから受験勉強に精を出し、社会人になれば、今度は出世競争が待っている。そんな彼らが社会に出れば「出世のテクニックはまず、先輩の考え、流儀に従って、彼らを立てること」と心得て、たちまち同化していくのだ。

 彼らにとっては、大学で学んだ知識など、競争に勝ち抜くための一時の道具にすぎない。大学で「不況には財政出動と金融緩和の組み合わせが必要」などと覚えたとしても、社会人になれば「オレの出世には、何の関係もない」で終わってしまうのである。

 私は、原田氏の本にヒントを得て「これが日本経済がうまくいかない根本的な理由ではないか」と思った。出世を目指す「偏差値エリートの合理的期待」が深い部分で社会の上層部を支配している。だから、まともな政策が、いつまで経っても主流にならないのだ。

 原田氏には「なぜ日本経済はうまくいかないのか」(新潮選書、2011年)という著書もある。その中で1章を割いて「なぜ政治はうまくできないのか」という問題を、次のように分析している。

———-

〈「上げ潮路線」(注・財政拡大路線)に賛同する政治家が少ないのは「経済成長は税収増をもたらすと同時に(年金や医療費などの)歳出増をもたらす。…(上げ潮路線だけでは)財政は再建できない。だから、…賛同する政治家が少ないのだ〉

———-

 原田氏はエコノミストらしく、合理的な説明を試みているが、私は、この説明に納得しない。「財政再建できないから、賛同しない」などと考える政治家が多いとは、とても思えない。多くの政治家が財務省寄りになるのは、もっと単純な理由からだ。

 まず、財務省に逆らったら、地元への公共事業の配分で不利に扱われかねない。さらに、財務省には、国税庁という「怖い舎弟も付いている。味方に付ければ、恩恵は大いにあるが、敵に回せば、どんな「お仕置き」が待っているか、分からないのだ。

 これも、政治家という「偏差値エリートの合理的期待」である。

安全保障でも「しわ寄せ」が

 安全保障についても、本質的な構造は同じだろう。

 日本の尖閣諸島が中国に脅かされているとき、本来なら、尖閣諸島とその周辺に自衛隊部隊を配置して、防御を固めるのは、軍事的にも当然と思われるのに、日本政府は四の五の言って、上陸配備しない。そのしわ寄せは、海上保安庁が受けている。

 日本の領土が脅かされているのに、自衛隊ではなく、警察組織の海上保安庁が守るのは、そもそも、おかしくないか。なぜ、放置されているかと言えば、政府や国会議員の偏差値エリートたちが「余計な事を言って、面倒なヤツ」と思われたくないからだ。その結果、前例踏襲が続いている。

 かつて、故・山本七平は名著「空気の研究」(文春文庫)で、1945年4月の戦艦大和出撃について、こう書いた。

———-

〈「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。…専門家ぞろいの海軍の首脳に「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。…統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄…。すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ〉

———-

 まさに、かつて戦争の真っ只中で「空気の威力」が発揮されていたのだ。「いまの安全保障分野では、そういう事態は起きていない」と考える理由は、私には見つからない。

 私が言う「偏差値エリートの合理的期待」も、一種の空気である。ただ、山本が指摘した時代の「空気」よりも、いまの「合理的期待」は、はるかに洗練され、かつ、より深く社会に根ざしてしまったように思う。

 学歴社会や受験勉強は多少の問題はあれ、社会全体で「撲滅すべきこと」とはみなされていない。むしろ容認され、その勝者を「尊敬すべき存在」とみなす雰囲気のほうが強い。偏差値エリートの合理的期待は、社会で市民権を得ているのだ。むしろ、そんな期待に反感を抱く存在を「KY」などと排斥している。

 これを打破するには、どうしたらいいか。残念ながら、いま、私は満足な答えを持ち合わせていない。引き続き、機会を見て、この問題を考えていきたいと思っている。原田氏には近く、YouTube番組「長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル」にゲストで登場していただく予定だ。

感想

せっかく長文を読んだのに、「答え、持ち合わせてないんかい!」と思ってしまいました・・・

まあ、それはさておき、結局は、よく聞く「年功序列」「派閥論理」「出世競争」などに

捉われて、真っ当な政策を言い出せないという問題を高学歴エリートたちが抱えているために、

真っ当な経済状態にならないんだ!ということを言いたいのでしょうね。

確かに、それが問題だとしたら、答えを持ち合わせていません、

という結論も理解できます。

いずれにしろ、官僚も、政治家も、自分の利益のことしか考えていない人たちが

多くなっているような印象を受けます。

逆説的ですが、日本は自分で思考できない高学歴エリートたちが、

高給をもらう社会になっているのでは?

だから、技術革新やイノベーションが生まれてこない。

これでは日本経済が成長するはずはないですよね・・・

ずっと、前例踏襲主義を続けて、日本経済は衰退する一方なのか?

そうならないことを切に望みます。

以上!

コメント